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スコッチ・ウイスキー(Scotch whisky)とは、英国スコットランドで製造されるウィスキー。現在のイギリスでは2009年スコッチ・ウイスキー規則により定義されている。麦芽を乾 燥させる際に燃焼させる泥炭(ピート)に由来する独特の煙のような香り(スモーキーフレーバーと呼ぶ)が特徴の1つだが、銘柄によってこの香り強さはまち まちである。スコッチ・ウイスキーはまず、モルトウイスキーとグレーンウイスキーに分かれる。

モルトウイスキーは「ラウドスピリッツ(主張する酒)」、 「個性的で風味の豊かな」と評され、グレーンウイスキーは「サイレントスピリッツ(沈黙の酒)」、「風味に乏しく没個性的で、それを単体で飲むには不向 き」と評される。両者を混ぜて作られるのがブレンデッドウイスキーで、「適度な力強さと穏やかさを兼備」していると評される。モルトウイスキー65%に対 しグレーンウイスキー35%がブレンドの目安(クラシックブレンド)とされる。ウイスキーのブレンドはブレンダーと呼ばれる専門家が担当し、1つのブレン デッドウイスキーを作るために数十種類のモルトウイスキーと数種類のグレーンウイスキーが混合される。

モルトウイスキーは製造工程 の違いにより、シングルカスク、シングルモルト、ヴァッテッドモルト(ブレンデッドモルト)に分類される。シングルカスクは1つの樽から作られたモルトウ イスキーのみを瓶詰めしたもの、シングルモルトは1つの蒸留所で作られたモルトウイスキーを瓶詰めしたもの、ヴァッテッドモルトは複数の蒸留所で作られた モルトウイスキーを混合して瓶詰めしたものである。

ピュアモルトという言葉があるが、これはブレンデッドウイスキーとの違いを示す ために「モルトウイスキーのみを瓶詰めした」という意味で用いられる。シングルモルトとヴァッテッドモルトに使われるが、スコットランドの場合、ピュアモ ルトといえば、まず99%シングルモルトのことを指している。2009年施行の改正スコッチ・ウイスキー法により、スコッチ・ウイスキーのラベルにピュア モルトと表記することは禁止されている。

Scotch whisky | スコッチ・ウィスキーとは

 

 

 

アメリカン・ウイスキー(american whisky)は、世界5大ウイスキーのひとつで、法律により、以下のように規定されている。

穀物を原料にエタノ-ル濃度(アルコール度数)95%未満で蒸留した後、オーク樽で熟成させたもの(ただしコーン・ウイスキーについては熟成は不要)、およびそれにスピリッツをブレンドしたもので、エタノ-ル濃度40%以上で瓶詰めしたもの。

アメリカでは多様な穀物が収穫されることから、ウイスキーの原料として用いられる穀物も様々である。アメリカン・ウイスキーは、法律によって定められた主要な原料および製法の違いによって、いくつかの種類に分類される。

種類は、バーボン・ウィスキー、コーン・ウィスキー、モルト・ウィスキー、ライ・ウィスキー、ホイート・ウィスキー。

それぞれ熟成期間が2年間を超えるとストレート・ウィスキーとなる。

ストレ-ト・ウイスキーは、アメリカン・ウイスキーの生産量のおよそ半分を占める。ストレート・ウイスキーに他のウイスキーまたはスピリッツを混ぜたものを、ブレンデッド・ウィスキーという。この場合、ストレート・ウイスキーが20%以上を占めていなければならない。また、ブレンデッド・ウイスキーのうち、ストレート・バーボン・ウイスキーを50%以上含むものをブレンデッド・ウィスキーという。

バーボン・ウイスキーのうち、テネシー州で製造され、樽で熟成する前にテネシー州産サトウカエデの木炭を用いて濾過したものをテネシー・ウィスキーという。

 

American whisky | アメリカン・ウィスキーとは

 

 

 

ジャパニーズ・ウィスキー(japanese whisky)は、世界5大ウィスキーのひとつで、日本で生産されるウィスキー。

日本でウイスキーが作りはじめられたのは1870年ごろであるが、販売用の生産が開始されたのは1924年のことである。ジャパニーズ・ウイスキーはスコッチ・ウィスキーに倣って、英語表記の綴りはスコットランド風の "e" を省く表記が用いられている。

日本にはじめてウイスキーがもたらされたのは、江戸時代末期のマシュー・ペリーの来航の時と考えられている。1853年7月、浦賀の奉行や通訳がサスケハナ号で歓待された時、ウイスキーが振る舞われた。将軍徳川家定の元にウイスキーが献上された記録も残るが、実際に飲まれたかどうかは不明である。日米修好通商条約締結後、1859年条約港の開港が行われると日本国内に外国人居留地が誕生し、外国人居留者のためにベーカー商会、タサム商会などがウイスキーの輸入を行った。1860年に開業した日本初の西洋式ホテル・横浜ホテル内のバーではウイスキーも出されていたという。1871年に横浜山下町のカルノー商会が輸入した「猫印ウヰスキー」が、最初に日本人用として輸入されたウイスキーだとされている。

明治期の日本では本格的なウイスキーは製造されておらず、薬種問屋で製造されていた調合ウイスキー(模造ウイスキー)が国産品として出回っていた。調合ウイスキーとは、関税率が低いために廉価で入手できる外国製の酒精アルコールを使用し、これに砂糖香辛料を加えたものである。明治時代当時は酒類も薬とみなされており、小西儀助商店(現在のコニシ)、橋本清三郎、神谷伝兵衛などの大手薬種問屋をはじめとする、数々の業者が生産を手掛けていた。明治政府は日本酒の製造者を保護するため、混成酒税法(1896年施行)、酒精及酒精含有飲料税法(1901年施行)によって調合ウイスキーの流通を抑制しようと試みた。1911年に締結された日米通商航海条約で日本が関税自主権を回復すると外国製の酒精アルコールに高い税率がかけられ、代わって国産の酒精アルコールが台頭する。

明治末から大正時代にかけて、日本でも本格的なウイスキーを造ろうといくつかの酒造会社が行動を起こした[18]。酒精アルコールのメーカーである摂津酒造の社長・阿部喜兵衛、常務・岩井喜一郎は技師の竹鶴政孝ウイスキーの産地であるスコットランドに派遣し、摂津酒造の得意先の一つであった寿屋洋酒店(のちのサントリー酒類)の創業者鳥井信治郎はウイスキー製造のための蒸留所建設を考えていた。

ジャパニーズ・ウイスキーの製造はスコッチ・ウイスキーの製造方式を再現するというところから始められた。竹鶴などのジャパニーズ・ウイスキーの先駆者た ちはスコッチ・ウイスキーの製造過程を学び、その製法を日本で再現しようと多くの苦労を重ねた。日本初の蒸留所が造られた山崎は経済的な制約があり、より 便利な場所に建設することが重視されたが、余市はとくにその地形や気候がスコットランドに似ているため、蒸留所の設置場所として選定された。

Japanese whisky | ジャパニーズ・ウィスキーとは

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